続きは引用させていただきます。

ナイチンゲールが現れる前、看護師はあまり尊敬される職業ではなかったという。患者の吐いた物や血で汚れた格好をしていて、貧しい人しかなり手がいなかった職業だったから。ところがナイチンゲールが看護師のイメージをガラリと変えた。
映画「おくりびと」の原作ともいえる「納棺夫日記」の筆者は、遺体を棺に納める納棺夫を仕事にする、と言った時、親戚から勘当すると言い渡されたという。筆者は、どうせなら亡くなった方たちのご遺体を、心を込めてお世話しよう、と心に決めた。
まるでお医者さんのように白衣に身を包み、ご遺体を丁寧に洗い、優しく棺に納める。その様子をみたおばあさんが「私がなくなったら、あなたにやってもらえないだろうか」と頼まれるようになった。やがて、お坊さんでもないのに両手を合わせて拝まれることも。
「どうせ」死んだ人、さげすまれている職業、と投げやりになるのではなく、「どうせなら」亡くなった方を心を込めてお世話し、全身全霊で取り組もう、と心構えを持った時、多くの人から敬愛され、講演まで依頼されるようになり、やがて「納棺夫日記」を執筆するに至った。
ある女子大生がトイレを卒論に選んだ。その卒論は画期的で、観光地にリピーターが増えるかどうかはトイレの影響が大きい、と分析していた。昔の観光地はトイレが汚く、女子トイレが少なかったりして、「二度とここには来たくない」という人も少なくないことを見事に指摘したものだった。
この女子大生が大手トイレメーカーに就職した、というニュースが新聞で出たあたりから、トイレが快適なものに生まれ変わり始めた。それまでのトイレは「どうせ」汚れていて臭い空間だから、と、金もかけられず、工夫もされていなかった。そして、やはり汚れていて臭かった。しかし。
その女子大生の卒論をきっかけに、トイレはどんどん快適で臭くなく、むしろあまりにきれいなので汚してはいけないような気になるような美しい空間に変わっていった。遊園地に勝る集客力を誇った刈谷のサービスエリアは、トイレが快適なことでも有名になった。
「どうせ」とバカにされていたものが、「どうせなら」心を込めて、大切に扱うようにした途端、その職業や製品が輝き始める、という事例は、かように数多い。人間は不思議なことに、バカにし、ぞんざいにしているものはさげすまされるが、心を込めた途端、聖化されて感じる感性があるらしい。
私たちの身の回りに「どうせ」と思われているものは転がっていないだろうか。そのせいで蔑まれているものはないだろうか。それは「どうせなら」の心がけ次第で、ガラッと印象を180度変え、生まれ変わる可能性がある。「どうせ」を「どうせなら」に変えるイノベーションは、とても面白いと思う。