以下、おれんと@まんどら (@OrentTreant) さんの投稿を貼り付けさせていただきます。

1月上旬、保健所から連絡があって同居している父、母、僕が三人そろって濃厚接触者指定をうけ、PCR検査を受けました。接触の状況から、僕の接触状況が一番まずかったので、覚悟をしていましたが、検査結果は陰性。母も陰性でしたが、父は陽性判定でした。検査結果を受け、父は即入院。母や僕はすぐに自宅待機と健康観察です。正直なところ三人とも全然自覚症状も何もなく、僕も父の車を先導して病院へ送り出したときには、大変なことになったなと思いながらも、どことなくきっとすぐに帰ってこられるだろうという気持ちでいました。もちろん、これ以上の感染の拡がりが起きないよう、僕も母もすぐに自宅待機とし、2週間の間一歩も外に出ず、食料品の買い出しなどは兄がして家の前に置いてくれていました。
入院した父はきっと暇だったのでしょう。
母によく電話をしてきました。いたって元気な声でした。入院して5日目の父からの電話で、肺炎の悪化や酸素濃度の低下が確認され、重症患者の病床へ移動になるという報告がありました。声はいたって元気そうでした。自覚症状も発熱だけで、息苦しいとか息が上がるとか、そういうことは一切ないんだけどなあと話していました。

入院して5日目の父からの電話で、肺炎の悪化や酸素濃度の低下が確認され、重症患者の病床へ移動になるという報告がありました。
声はいたって元気そうでした。自覚症状も発熱だけで、息苦しいとか息が上がるとか、そういうことは一切ないんだけどなあと話していました。

それでももしかしたら戻ってこれないかもしれないという気持ちもあったのでしょう。母と今後のことをいろいろと話していました。
その電話が、父と交わした最後の会話になりました。
重症者の病床に転院となってから、何度も病院から状況のご報告のお電話をいただきましたが、その一番最初の電話のときから、僕たちが本人と話して感じていた印象よりも、父の状況はずっと悪いのだということがわかりました。即投薬治療が始まり、熱が下がらない。酸素濃度もどんどん下がる。右肺はもうほぼ使い物にならないくらいに悪化。左肺もどんどん侵されている。ECMOの使用も始まった。できる限りの投薬治療もした。これ以上はもう本人の免疫による回復を願うしかないと、そんな報告がどんどん来る。僕も母も何もできない。
せめて面会にと思っても、僕たちは外出も出来ない。

母は電話が鳴るたびにまた何か悪い連絡が来たのではと震える。病院からの電話がなくても、もしかしたら急変の電話があるのではないかと夜も満足に眠れない。ご飯も全然食べられなくなっていた。家は自営業だから、対応しなければならない仕事もあるのに全く進められない。二人でずっとため息。朝起きて、ずっと電話におびえながらすごして、夜寝る。末期はずっとそんな感じだった。やっと2週間の自宅待機期間が終わって、母はまず仕事の処理に没頭。僕も迷惑かけっぱなしだった職場へ出社。
まずは溜まっていた色々をがむしゃらにやった。

親戚もみんな心配していたから、明日みんなで病院へ行き、モニター越しでお父さんを応援しようと話していた。
そして翌朝。父の容体が急変の連絡があった。とにかく母と僕だけでもすぐ病院へ行こうと支度をしていたけれど、また連絡があり、父が旅立ったことを告げられた。
それからは正直あまり覚えていない。
母と二人で葬儀の手配をしていたと思う。
新型コロナによる死亡ということで、当然お見送りをすることは許されなかった。父の遺体はすぐに火葬となるのだそうだ。火葬その他の手配については最初、僕たちの家でお世話になっていた葬儀社に依頼をした。コロナでの死亡だから対応してもらえるか心配していたから、最初受け入れてもらった時には安堵していたけど、その後、やっぱり受け入れられないという連絡が来たのはとてもショックだった。事情を伝えたところ、病院がすごく便宜を図ってくださって、受け入れ先が見つかった。
これが感染症で亡くなるということなんだなという現実を突き付けられたと思う。遠目ではあったけれど、霊柩車で運ばれるタイミングのところで、袋に包まれて棺に入って眠る父の顔を遠目から見せてもらえた。病院や霊柩車の方々は皆様すごい重装備。頭が下がる。病気で亡くなった遺体といえば、やっぱりすごくやせ細った姿になっていると思うけれど、父は全然そんなことなくて。ほんとにいつもみたいに大口開けていびきかいて眠ってるみたいにしか見えなかった。

病院に入院してから、たった2週間。信じられない。

結論から言えば、時期的なことを見ればお察しのことと思いますが、このお正月に実家に帰ってきていた弟が新型コロナにかかっていて、一緒に食事をしたことです。
弟本人が、こうして発信することを望みました。
父は入院する前から、そして母と最後に電話をした時にも、また入院先で弟本人にも繰り返し言いました。

お前だけが悪いのではない。自分たちにも油断があった。たとえ自分がこの先どうなっても、絶対に責めるな。それでも、弟は言いました。

俺がお父さんを殺した。
俺が帰っていなかったら、お父さんは死ななかった。僕も母もそれは当然思っています。何度も自問自答しました。なんでこんなことになったんだろう。

弟は家を出たときには全然なんともなかったそうなのですが、こちらに向かっている途中に発熱を自覚していたそうです。でも、じぃじじぃじ久しぶりだと喜んでいる子どもたちを見て、引き返せなかったと。弟もしっかりとコロナ対策をしていました。消毒はもちろん、家に来たあとも当然マスクを着用していて。しばらくすると発熱もおさまっていたからと、一緒に食事を。

これが結果的には命取りになってしまった。
俺は一生兄貴や母ちゃんに恨まれるだろう。自分も自分をずっと恨んでいく。そう言って泣きました。父本人が許したのです。
母も僕ももう何を言うこともありません。先を向いて歩いていきます。

弟にはもう、守るべき家族がいます。
危険と隣り合わせの仕事をしています。
もし仕事中に変なことを考えて失敗をしたら…

母も僕も、それこそ許しません。
そんな話をしました。
話がそれましたが、僕が言いたいことは一つ。

みんな生活があるのだから、感染対策を気を付けてやっていくしかない。外食とかお付き合いもいろいろあるでしょう。でもたとえどんなに気を付けていても、やっぱりどこかに油断はあるものです。
だから、つらいけれど寂しいけれど、まだまだ親に会いに行っちゃいけない。自分は気を付けてるから大丈夫、じゃないのです。ほんの少しの油断から、もう絶対に取り返しのつかないことになってしまうことがあるんです。
それから、今回のコロナですごく恐ろしく思ったのが、父は重症病床に移る直前まで、息が苦しいとかそういう自覚症状が全くなかったのに、実際は致命的な状況にあったという事実です。幸いにも僕たち家族はすぐに検査を受けられ、すぐに入院治療を受け始めることが出来ました。結果的には命を落としてしまいましたが、病院の皆々様にはただただ感謝しかありません。
ニュースを見ると、所によっては治療を受けられないままに亡くなるなどの本当に痛ましい状況が起こっているようです。どうかこの状況が少しでも改善されますよう、祈ります。

この文章をご覧になって どうするかはあなたが決めてください。

               
[著:Temita編集部]